<天皇制度は宗教です>

 日本の天皇制度は宗教です。

 信じる対象(神々)があり、礼拝の儀式や場所があり、それを司る祭司がいる、それがそろえば立派に宗教です。時に、教義がない、直接的に布教活動をしない、ことをもって「これは別段、宗教ではない」と言われたりすることがありますが、上記のことがあり、それに関わってそれなりに信じたりする人々がいる限り、それは立派に宗教です。
 信じる対象は、アマテラスオオミカミ、ヤオヨロズノカミ、そして歴代の天皇霊(テンノウレイ)です。皇居にある「宮中三殿」は、それらを祀る神社であり、天皇はその祭司王です。それを補佐する神官なども多くおります。
 またそれらを祭神とする、伊勢神宮、明治神宮などの、神宮・神社とも深いつながりがあります。

 そのような宗教制度が天皇制度です。


 そしてその頂点に立ち、祭る側の祭司王でもあり、また祀られる側の天皇霊につながるものが、「天皇」(天の中心、天の王)という呼び名であり、存在です。
 それらの「特定の宗教的存在」をもって、この国のシンボル(象徴)だ、とするものが、象徴天皇制でもあります。

 国家と特定の宗教(団体)との結びつきを禁じた政教分離に明確に違反します。
 それをもって公的なものとし、特典を与え、公金(税金)でもって、それらの特定の祭司王と宗教施設と儀式や祭祀を維持しているのです。

 政教分離がない所には、真の信教の自由など、内面の自由はありません。

 かつてのように、直接的に全国民が、参拝や礼拝を強要されなくても、そのカミの名をもって、国事行為がなされ、国の指導者がその名でもって任命、任官され、年に数回ずつであっても「宮中三殿」に礼拝したり、天皇を拝したりすることが行われている所に、特定の宗教観が、明白に、また静かに力強く伝えられてもいます。
 私と公の二重性や、オモテとウラ、タテマエとホンネなどの二重性なども、これに重なっていきます。

 天皇や天皇教を信じたり、信じたい人がいることは自由です。しかしそれをもって公とすることは困ります。真の信教の自由と、そのための政教分離は、厳格に考えなければなりません。すべての宗教は、対等に民間とすべきです。
 天皇制度や天皇教も立派な宗教である以上、民間化しなければなりません。

 「君が代」は、天皇制度の讃美歌です。「日の丸」は1つのデザインともいえますが、それをもって天皇を意識し、天皇を拝するつもりで、日の丸を拝するなら、注意は要します。その意味で「君が代」は全国民の国歌としてふさわしくありません。特定の宗教の賛歌です。全国民が安心して歌える国歌が必要です。 天皇元号は、○○天皇の何年と、そのようなカミの支配の年度を表すものです。

 天皇制度は宗教であることをしっかりとふまえて、それをもって公のシンボルとすることの影響を考えて、その民営化をめざすことや国の制度としては廃していくことが、日本国民一人一人に、真の自由と責任を与えます。天皇制度は、国の制度としてはいりません。百害あって一利なし、です。

 今皇室制度の中にいる人たちをも解放します。真に人間らしく幸せにします。