牧師の部屋へ
(以前、[牧師の部屋]に記した小文を残してあります。)
<人が神を信じるということ>
私は聖書の神(キリスト教)に出会えたことを本当に感謝している。神は唯一である、ということももっともだと思うし、人の救いの働きは人の働きによるのではなく神から来る一方的な働き(これを聖書では「恵み」という)による、ということもとても感謝なのだ。
聖書の中に「人をさばくな」とある。
神の前では、人は人としての自覚を持ち、自分だけが「えらい」かのごとくに、人を判断するなと言うことである。
人はどうしても、目で見えるところで判断しがちである。
しるしを見せろ! そうしたら信じてやろう、ということである。
神を信じるにも、「信じてやろう」といった態度である。
自分がカミになってしまっている。
そして神に対してすら、自分に干渉してくれるな、と自己を主張している。
そこで「責任」ということが見えてくる。
もし人が、自分の発言や態度に対して、あくまでも責任をとるなら、まだ様々な自己主張にもゆるせるものがある。
しかし、責任を取らなかったり、自分に都合が悪くなると投げ出したり、自分の思いどうりにいかないと別に責任者はわたしではありません、といざとなった時や最後になると言うのなら、ちょっと待って、と言わざるをえない。
実は聖書では、この「責任」ということを重んじているのだ。
「神を信じるということ」も、「神に責任をもって応答する」「神にこそ期待する」ということなのだ。
そしてその神の目から見たとき、この人もあの方も、神による一方的な働き(恵み)による神の愛の対象なのだ、と知らされることでもあるのだ。
だとしたら、どうして「さばきえよう」。
不正や悪は、憎みつつ、目には見えなくともこの<神>こそを「信頼して」、自己に責任を取り、「応答」していく、そして目には見なくても、<神は豊かに報いてくださる>ことを信頼していくことでもあるのだ。
人に左右されるのでもなく、人に(神に対するほどには)期待することでもなく、(自分がカミになって)人をさばくのでもなく、
すべてを最善になしてくださる<神>を信頼の基盤にしていく解放された人生、これが<人が神を信じるということ>でもあるのだ。
だれも人を絶対視しない、自立した人生。
時には聖書の中で<せまい道>にたとえられている大人の道です。 これは。
ただ金をくれ、ご利益をくれ、ではない。 責任ある道だ。
でも愉快な道だ。 ありがたい道だ。
あなたも信じられる道だ。 感謝ができる救いの道だ。
早く信じなされ。
時が終わってしまう前に。
(それでも死んだらみんな仏様になれるなんていうのは、ウソです。
せめて追善供養なんていうのは悲しいではないですか。人情としては十分わかる思いはいたしますが・・・。)
「責任」を伴わない幸せなんて、ないんですよ〜〜〜
生きているうちに、幸せになれたほうがもっといいんですよ〜〜〜。
「神はあなたを愛している。」
「人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(聖書)
<聖書の「神」について>
聖書では、すべてのものの創造主、全世界の神を「主(しゅ)」と呼んでいる。
「存在の根拠」「すべてのもののご主人」「全能の神」といった意味です。
すべてのものの造物主という点では、その唯一性も信じている。
「私のご主人様」でもある。
私たちの教会では「まことの神、主」とよく使う。
それにしても「私のご主人様」といった感覚は、どれほどの人が持っているだろうか。
日本の宗教は、ほとんど「人間を褒めあげている」
「人間がすばらしい」「人間はもっともっとすばらしくなれる」「もっとがんばってすばらしい人間になる」そして「亡くなった先祖」が「祖先」や「仏様」として、その人たちがほとんど「カミサマ」としておぼえられていく「祖先崇拝」となっている。
普遍的な絶対神や、全能の神、全世界の主、といった「神」は、ほとんどない。
それをよしとするか、それとも「絶対神」の事実を認めるか。
その絶対神が、全世界の主であるとともに、私の神、私の助け主、私の慰め主でもあるのだ。
「ご主人」がいてくれることの気楽さ、楽しさ。
しかも、だれか「人」をご主人とするのではなく、目に見えない「神」こそを「ご主人」とできる気楽さ、楽しさ。
その「ご主人」の大切さ、すばらしさを求めることができることの気楽さ、楽しさ。
人間の誰もがカミでない気楽さ、楽しさ。
自分がカミでない気楽さ、楽しさ。
この世界の事実と、神の事実、聖書の存在やイエス・キリストの事実に立つ気楽さ、楽しさ。
この神が、この世界や全宇宙を造られた気楽さ、楽しさ。
そして「永遠の世界」の約束の楽しさ、気楽さ。
私たちの人生の長さから比べたら、この世界での生活は一瞬でしかないことの大切さ、すばらしさ。
そのすべてを導く、創造者なる「私のご主人様」が、私にはいてくださることの大切さ、すばらしさ。
あなたにとっても、このお方こそ、まことの「ご主人様」なのですよ。
親の、親の、親の、親の、ずーっとさかのぼった、親神様(おやがみさま)なのです。
永遠の世界(このまことの神、主の世界)を知らずにあなたの人生を送らないでください。
あなたを救い、あなたを慰め、あなたを「罪」から解放し、豊かに祝福してくださるのは、この「神」、この「ご主人様」なのです。
全世界的な、普遍的な「神」なのです。
私は、この「神の事実」に立ちます。
<人はどうして罪を犯すのか>
「人はどうして罪を犯すのか」ーーーーー重い課題である。
虐待され続けた子どもが、虐待をするようになるのか。無視され続けた子どもが、無視をするようになるのか。愛されなかった子どもたちが、愛を表わせないでいるのか。あまりにもきびしくされ続けた子どもが、反動するのか。そこに「愛」が、なかったからか、それとも愛が空回りしたのか。いつもだまされていた子どもたちが、人をだますようになるのか。そうでなくても人は罪を犯すのか。
聖書の中に有名な「十戒」がある。
神が語られた十の戒めである。そこに前文が付いている。
「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」
すでに、人が人を支配する所から、また何かの奴隷になっている所から、連れ出し、救い出した、と言っている。
あなたは何かの支配下にあって、奴隷のようにされてはいないか。そこからどうしても自由になれない、といった「わかっているのに、やめられない」状態である。自分でもよくわからないうちに、気がついたら、何かをしでかしていた状態である。しかもそれが繰り返される、といった。それはそのものの奴隷なのです。
「わたしは、あなたを奴隷の家から救い出した、あなたの神、主である。」
その救い出された者に、
「もう、あなたは、人を殺したりする必要はないでしょ。」
「もう、あなたは、人のものを盗ったりする必要はないでしょ。」
「もう、ウソをつく必要はないでしょ。」と語っているのです。
「もう、あなたには、わたしのほかに、ほかの神々は必要でないでしょ。」ということばと共に。
罪や、罪の奴隷の状態の中から救い出された者が、そのお救いになられたお方から、さらに語りかけられているおことばが「十戒」です。
ゆるされた者が知りうる、今後のための指針です。
愛された者が知りうる、さらなるおすすめです。
もちろん、神は、人が罪を犯さなくなること、何かの奴隷や束縛から解放されることを望んでおられます。もはやそれに支配されるのではなく、自由に生きることができることを。
愛されて、ゆるされて・・・・・。
人の世界には、イジメも、無視も、あるかもしれません。
しかし、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 (聖書)。
<神>は、あなたを愛しておられるのです。人の親にもまさる愛情をもって。<神>は、あなたを罪から解き放つために、自ら十字架にかかって死んだのです。あなたの身代わりに。あなたをゆるし、正しくするために。
<神>はあなたが自由にされて、「生きる」ことを願っておられるのです。
愛されて、ゆるされて・・・・・
人は罪に支配されたままではなくて、罪を繰り返すのでもなくて、罪がむしろイヤになる人生を送れるようになるのです。
<神>がおられることと、<神>があなたを愛しておられることとを知ってーーーー。
< 私 と 韓 国 >
私が最初に韓国を訪れたのは1985年、今からもう25年以上前になります。ソウルのCCC(キャンパスクルセード・フォー・クライスト)の研修所で行われた「日韓少壮教職者教会形成研修会」に参加した時のことです。この時初めての韓国。ソウルだけでしたが、一部セミナーを抜け出して、人々の生活に触れました。
ソウルの街は喧騒で、今よりはほこりっぽい感じもしました。この80年代以後の韓国の発展は目を見張るものです。
そして2度目が1990年。今から20年程前です。所属しています日本同盟基督教団・靖国問題委員会が主催したツアーです。この時は、韓国南部の釜山、馬山、麗水から、北上して水原、ソウルなどを訪れました(順序は定かでありません)。釜山の高神大学、馬山の朱基徹師、孫明復師ゆかりの地、麗水の愛養園と教会、水原近くの提岩里教会と独立記念館、などでした。朱基徹師の生涯、愛養園の孫良源師の生涯、提岩里の田同礼おばあさんの話、独立記念館見学等、様々学びながらの旅でした。愛養園入所者の方々の力強い賛美と証しを今でも忘れることができません。
また休みの日を利用して、各地の教会の青年会の中高生などが愛養園(ハンセン病の療養所)を訪問して、見学や奉仕をしている姿に心が留まりました。
そして近年になって、@狭山市の私がいた教会の近くで韓国から来られていた牧師先生が、新しい教会を始められてお交わりをいただいたこと、A10年ほど前に釜山の東部教会が10人の青年たちを狭山の教会に短期宣教に送ってくださって、2週間にわたって共に教会で寝泊りをして働いたこと、B全州のアンテオケ教会とパウロ宣教会の「牧会者霊性啓発セミナー」が日本で始まって係わりを持たせていただいていること、C韓国に本部を置く、宣教船「ハンナU号」が初めて日本に寄港した時に、東京港に訪ね、それがきっかけで、狭山の教会の教会員の一人がその後2年間にわたって、ハンナU号のスタッフになって奉仕をしたこと、など私と韓国の教会との係わりが広がってきました。
そして2003年、3回目の韓国訪問が実現しました。近くの韓国からの牧師先生の呼びかけで、ソウル郊外の盆唐、南に下って全羅北道の全州、更に南下して対馬海峡に面した全羅南道の順天、麗水、そして慶尚南道の統営、釜山などを訪ねました。全州で訪ねたアンテオケ教会は、収入の70%は外部にささげるという宣教の精神の盛んな教会で、障碍を負った方々への伝道にも積極的に取り組んでいました。順天では素朴な地方教会の温かさを味わい、統営は私が住んでいた埼玉県狭山市と姉妹都市であることから、両市のクリスチャンの交流をしました。再訪した麗水の愛養園と教会は少し古くなってさびしい思いもいたしました。
そして2004年1月に、ハンナU号の「ハンナ宣教会」の韓国の支援者の方々が、狭山の教会を訪ねてくれました。
そして2004年の9月、私の妻や教会員を韓国にぜひ一度と願っておりましたが、それが実現しました。釜山の東部教会を訪ねることと、韓国に帰国中で間もなく次の宣教航海(約3〜4年間)に出発する「ハンナU号」を訪ねることでした。釜山の少し北にある街・蔚山に停泊中のハンナU号を訪ね、交流と船での生活を少し体験しました。東南アジア数ケ国と韓国からの献身的な乗組員青年たちとの出会い、そして釜山・東部教会を皆で訪ねました。教会員皆さんからの歓迎を受け、ホームステイをさせてもらいました。以前狭山に来てくれた青年たちとの再会も果たしましたが、今回初めて日曜日を含めて韓国の教会の様子を体験することができました。その後「ハンナ宣教会」の支援者たちが、ぜひソウルへと招待をしてくださいましたので、一路ソウルまで足を伸ばし、一層の交流を深めることができました。ソウルではパゴダ公園、景福宮などを訪れ、数十年間ソウルで日本人教会の働きをしている吉田耕三牧師ご夫妻ともお交わりの時を持たせていただきました。
そして2005年5月、先の「ハンナU号」に乗船し、奉仕をしていた兄弟が、その「ハンナU号」で出会った韓国人の姉妹と結婚することになったのです。その姉妹の釜山の家族、また教会などとのつながりが、さらに広がりました。
また2005年11月には、再び所属している日本同盟基督教団・教会と国家委員会(旧・靖国問題委員会)主催のツアーで訪問をしました。
この時印象に残ったのは、たぶんソウルの郊外だったと思うのですが、「殉教者墓地」と「殉教者記念館」を訪ねたことです。「殉教者記念館」は、過去韓国・朝鮮において、信仰のゆえに殉教をした方々をほとんど全員記念している所です。朝鮮王朝時代の初期キリスト教に対する迫害から始まり、日本植民地時代、そして朝鮮戦争の時代に至るまで。むしろ私が意外に思ったのは、韓国キリスト教の殉教者と言えば、日本植民地時代のものが多いのかと思っていたら、数の上では圧倒的に朝鮮戦争時代の方が多いことでした。しかしそこに掲げられた何百、何千?の方々の姿を見ていたら、この流されたいのちの上に、韓国・朝鮮の教会があることを思わされたことでした。
最後に額縁のように鏡が掲げられてあって、自分の顔が写るようになっています。そしてそこに「次にここに載るのはあなたです」と書いてあって、考えさせています。
(日本にはキリシタンの時代を除いて、殉教の歴史と殉教した人がいないのです。殉教がすべてではないのですが、この違いは大きい、と思えるのです。)