(思わぬ事故や災害で苦しむ人たちのために)==聖書と被害・加害・自死==
~祈りの内に、よりよく受けとめたい。
①被害
~最悪の場合は、死も含まれる。
(1)災害
~自然災害。
台風、洪水、土砂崩れ、竜巻、地震、津波、噴火、などなど
~病気
(2)事故
~遭難、産業事故、交通事故、
(3)事件・犯罪
~窃盗、いじめ、暴力、傷害、通り魔、性犯罪、セクハラ、パワハラ、強盗、殺人、
~事故や事件・犯罪の場合、被害者は加害者のことをどう思うのだろうか。
怨むのか、忘れようとするのか、触れまいとするのか、それとも更生を願うのか。
~[聖書の立場]
あらゆる被害者は、ただちに救済されなければならない。 可能な限り。できるだけ早く。
〈聖書は被害者救済の書〉。
できれば被害者の出ない世の中を。
そのために祈りと手だてを。
~すべてを奪い取られたヨブ(旧約聖書・ヨブ記参照)。
神は神、どんなことがあっても主は主であることを知らしめるため。
②加害
~最悪の場合は、死も含まれる(相手を死なせてしまう)。
(1)事故によって
(2)事件・犯罪によって
~[聖書の立場]
罪を負う。 悔い改めと償いと更生。 罪のゆるし。
繰り返されないように。
③自死
~すでに死が含まれる。
~被害と加害を合わせ持つ。 自死の持つ多面性。 (ふとそれを選択するという面。 追いやられて被害を受けて、という面)
~事実だけが残る。 死以前にはもどれない。
~未遂、帰還の場合もある。 (その後、導かれてりっぱに生きて、そうでなかった人よりも評価されるような場合も)
~他者のために自らの命をささげる場合(これは一般的には、自死とは言わないか?)。
~安楽死は?
~身近な人に死んでほしくないという私たちの想い。 共に生きていることの喜び(を断ってしまう)。
これが大きい。(→死んではならない!) (しかしこの世界には、災害があり、被害がある)
~自死者は「救われるのか」。 どう生き、どうであったのか(によって)。 どうであれ、その人の生きてきた生涯は記録される。
“また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。” (新約聖書・使徒の働き24章15節)
義人も悪人も必ず復活するというならば、後では叱られるかもしれないけれども、その最後の審判の時までは、あわれみによって、まだ審判を受ける前として、(復活して)生きている。
~[聖書に出てくる自死関連の例]
1.(民数記11:15)苦しい時のモーセの叫び
“私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。”
~生きているより死んだ方がましだ、と思ってしまう。
2.(士師記16:30)サムソン
“そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。”
~ある面では自死だが、それによって人々を助けようとした面。
3.(第Ⅰサムエル31:4~6)いくさに敗れて最期は自害したサウルとその家来
“サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。”
“道具持ちも、サウルの死んだのを見届けると、自分の剣の上にうつぶせに倒れて、サウルのそばで死んだ。”
~武士としての最期。
4.(第Ⅱサムエル17:23)アヒトフェル
“アヒトフェルは、自分のはかりごとが行われないのを見て、ろばに鞍を置き、自分の町の家に帰って行き、家を整理して、首をくくって死に、彼の父の墓に葬られた。”
5.(第Ⅰ列王記16:18)ジムリ
“ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、みずから王宮に火を放って死んだ。”
6.(第Ⅰ列王記19:4)追い込まれた時の預言者エリヤ
“自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼(エリヤ)は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「【主】よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」”
7.(ヨナ1:12、4:3、8)自分の死を願ったヨナ
“ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」”
“【主】よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」・・・・
太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」”
8.(マタイ27:5)イスカリオテのユダ
“それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。”
9.(使徒16:27~28)自害してはいけない。
“目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。”
~自害するな。
いずれもその事実は伝えているが、特に強く、よいとか悪いということは言っていない。
(モーセ、エリヤ、ヨナは、そう思った時があったが、実行はしていない。)
自死者を出すな! また被害性が強い場合は、そのような状況のない世界を目指さなければならない。
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~人は時にこれらの起こる中で生きる。
主よ、悲しみをいやし、できるだけ、それらを少なくしてください。
主よ、あわれみたまえ。
~人は災いをどう受けとめるか。 受けとめていったらよいか。
“【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。” (ヨブ1:21)
“私たちは幸いを神から受けるのだから(受けたのだから)、わざわいをも受けなければならないではないか(受けようではないか)。” (ヨブ2:10)
“私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。” (ピリピ4:12)
“【主】は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、【主】ではないか。” (出エジプト4:11)
~人は重荷を負って生きる。
なお主が共に生きてくださる。 → この世で、生きることの大切さ!
<自死者をも、最後の審判までは、主の御手にゆだねる。>
~主イエスは、神(の子)でありながら、被害者、加害者、自死者ともなってくださった。
被害者=何一つ悪いことはなさらなかったのに、一方的に死刑の判決を受けて、その刑が執行された。
加害者=罪人、犯罪者の一人として数えられた。
自死者=ある面、自らそのすべてを受け留め、死ぬことを辞さなかった。
“わたしの神、わたしの神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか!(こんな所にまで追いやったのですか!)”
そのすべてを体験させるため。
できるだけ被害者は出さない。また出た場合はできるだけ速やかに救済するため。
可能な限り加害者は出さない。また出た場合はできるだけ速やかに、加害者をも救済するため。
できるだけ自死者は出さない。また出た場合はできるだけ速やかに、その家族や不条理を産む社会を救済するため。